津野海太郎「読書と日本人」
津野海太郎「読書と日本人」を読みました。
前にある人と読書の話になり、明治時代に音読から黙読が主流になったキッカケは何かという、非常にアカデミックな話をしてました。
その時に僕は、「新聞小説が黙読の始まりじゃないんですか」とアバウトな知識で説明してしまったので、その辺りをキチンと知りたいと思い、この本を手に取ってみました。
この本は日本の読書史に焦点を当てた本です。
その中でも明治時代の部分を取り上げたいと思います。
江戸時代に十返舎一九や為永春水の草双紙を楽しんでいた町の人びと。
明治に入っても草双紙や合巻などを読んだり、貸本屋から本を借りて楽しんでおりました。
で、文学史家の前田愛「明治初年の読者像」という論文によると、彼ら庶民の読書習慣を変えるキッカケとなったのは、新聞。
新聞といっても「東京日日新聞」のような漢文調の大新聞(インテリ向け)ではなく、「読売新聞」「平仮名絵入新聞」「仮名読新聞」などの平仮名中心、ふりがなつきの小新聞(大衆向け)がキッカケだったらしい。
こうした大衆向けの新聞に、わかりやすい口語体で書かれた読み物が連載されることで、貸本屋の退場と毎日活字を読む習慣が生まれることになったそうです。
また江戸時代から明治にかけて、「じぶんひとりの部屋」というのがありませんでした。
自然と黙読ではなく、家族の誰かが代表して音読し、他の家族はそれを聞くというスタイルになります。
さらに家の外でも、「新聞縦覧所」「新聞会話会」といった施設が各地に出現し、常連の客が備え付けの新聞を読んだり、集まった人びとにそれを読み聞かせするといったことが日常的に行われていました。
もう一つ無視できないのは、素読の習慣です。
漢文で書かれた本を、子どもたちがただ
ひたすら大きな声で読み上げる。
意味や背景の説明はありません。
ただ読むだけ。
これによって、子どもたちが言葉ののひびきとリズムへの快感に目覚めることもあったとかなかったとか。
まさに「声に出して読みたい日本語」ですね。
こうした「共同的な読書(音読)」から「個人的な読書(黙読)」に代わったキッカケとは何か。
先の前田愛が指摘するには、1890年前後にその変わり目があったらしい。
それを象徴するのが1888年、二葉亭四迷による、ツルゲーネフの「あひびき」の翻訳です。
これに影響を受けたのが、国木田独歩、島崎藤村、田山花袋、蒲原有明、柳田国男など、当時16〜17歳の少年たち。
彼らは「あひびき」を読んで、
いいなァ。こんな文章、オレ、読んだことがないよ。
といって感動したそうですwww
エクスタシーを感じてますね。
では「こんな文章」とはどんな文章なのでしょうか。
ここでささやいているのは作者です。ページをめくるにつれて、作者のしるした文字が声になって読者に語りかけてくる。そこがポイントですね。
この声はもはや「共同的な読書」の声ではない。時間的にも空間的にも遠くにいる作者が私の頭のなかで、ほかのだれでもなく、私ひとりに「ささやい」てよこす特殊な声です。
そのささやきがあまりにも親しすぎるように感じられ、思わず照れて「反発」したくなる。それほどひめやかで繊細な快感ーああ、こんな読書、これまでいちども体験したことがないぞ、というわけです。
まあよくわからんのですが、要するにこのような高尚な読書を体験すると、「共同的な読書」がいかに大ざっぱで幼いものであったかが、身にしみてわかってくるのです。
こんなことを考えていたのは、最初はインテリだけだったでしょう。
しかし「あひびき」をキッカケとして、徐々に庶民も黙読の快感に気づいたんだと思います。
- 作者: 津野海太郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2016/10/21
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